東京地方裁判所 昭和29年(行)26号 判決 1959年3月25日
原告 秋山粂治 外三名
被告 東京都知事
主文
原告等の請求を棄却する
訴訟費用は原告等の負担とする
事実
当事者双方の申立及び主張は別紙のとおりである。
(立証省略)
理由
訴外小林武之助が、昭和二十五年八月十日付で被告に対し建築線の指定を申請したのに対し、被告が、同年九月十五日第一〇〇〇号をもつて右小林に対し調査済証を交付して同人の申請どおりの位置に建築線の指定をし、次いで昭和二十六年一月二十五日東京都告示第九一号をもつてこれを告示したことは当事者間に争がない。
ところで原告主張の違法事由の判断については右建築線の指定が申請に基きなされたものか職権によりなされたかゞ問題となるので先ずこの点について判断することとする。
市街地建築物法(以下法という)第七条は道路幅をもつて建築線とするとしたが、同条但書において特別の事由あるときは行政官庁は別に建築線を指定することができるものとしているのである。
ところで一般に建築線の指定は都市における保安、交通又は都市計画の必要上、建築線内に突出して建築をさせないようにして道路、空地を作ることに目的があるわけであるから、法第七条但書は原則的には職権によつても建築線を指定できる権限を行政庁に認めた規定であると解すべきである。そこで東京都においては右法第七条但書に基き市街地建築物法施行細則(以下細則という)において建築線の指定及び指定をなしうる場合を定めているのであるが、それによると第五条第一項において職権で一般的に一定道路について建築線を指定しており、更に行政庁が特別の事由があるものとして建築線を指定しうる二つの場合が定められているのである。すなわち、先ず第五条第二項は保安、交通上又は街衢の計画上必要があると認めるときは(特別の事由ある場合として)行政庁が職権で建築線を指定できるものとし、次に第六、第七条は特に右のような必要のない場合でも私人の必要上(例えば法第八条の建築制限を免れるために)申請があつた場合(これを特別の事由ある場合として)行政官庁が建築線を指定できるものとしているのである。すなわち細則第五条第一項の場合を除き一般に法第七条但書の規定に基き細則により行政官庁が建築線の指定をなしうる場合には、職権によりなしうる場合と、申請によつてなしうる場合とがあるが、職権でなしうる場合の要件は保安、交通上又は街衢の計画上必要と認められることであり、申請によりなす場合には右の要件を必要とせず、細則第六条所定の要件を備えた申請があれば足りると解すべきであつて行政庁の審査すべき要件も右の点に限られるわけである。
そこで本件についてこれをみると、証人川村達郎、同内山四郎の各証言によると、東京都としては小林から建築線の指定の申請があつたので、内山が現地を調査したところ、同人のみたところでは現地は事実上道路として使用されていたと認められたので(もつとも証人鵜沢たけ、同山鹿シンの各証言によると当時現地が一般人の交通の用に供されていたかどうかは疑わしいけれども、前記川村及び内山証人の証言、証人福田金一郎の証言並びに検証の結果によれば少くとも現地は人が通行できるような形態をそなえていたことは認められるから、仮に被告が交通保安上の必要性の認定を誤つたとしてもその瑕疵は明白とはいえないから建築線指定の無効原因とはならないと解せられる)、これを上司に報告し、これに基き被告は交通上必要があるものとして細則第五条第二項の規定に基き職権で本件の建築線を指定し、同第九条の規定によりこれを告示したものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。もつとも前記争のない事実によると本件処分にあたり、小林武之助が建築線の指定の申請をしており、また指定の際同人に申請書の副本に調査済証印を押して交付している点からみると申請に基く指定のようにもみえるのであるが、前記認定の事実によれば、右小林の申請は右指定の誘引になつたに過ぎず、また申請書の副本に調査済証印を押して交付したのも事実上の措置であつたと解するのが相当である(けだし職権により建築線を指定する場合については指定の形式については第九条の告示をなすこと以外に何らの定めもないから、申請が指定の誘引又は動機に止るような場合においても申請者に対し特に細則第七条の規定に準じてこれを告知することは何ら妨げないばかりでなく適当な措置であると考えられる)。よつて本件の建築線の指定は職権によりなされたものであるといわなければならない。
そこで原告は先ず本件建築線の指定はその位置が特定しないから違法であると主張するのでこの点につき判断する。
申請による建築線の指定については申請者が適当な方法で建築線の位置を標示しなければならないものであるが(細則第八条)、職権により建築線を指定する場合には現地にその標示をする必要はなく、告示及び図面によりこれを特定することができれば足りると解すべきである。本件建築線の指定は前記のように職権でなされたものであり、成立に争のない乙第四号証によれば本件建築線の指定の場所の地番、建築線間の距離幅員、建築線の長さは明らかにされており、また本件口頭弁論の全趣旨によれば、東京都建築局の建築線の図面により本件の建築線の具体的位置は図面上明らかにされていると認められるから、本件建築線の位置は右告示及び図面により特定しうるというべきであつて、この点に関する原告の主張は理由がない。
次に原告は本件建築線の指定の前提となつた小林武之助の建築線の指定の申請につき原告秋山及び原告三吉せい、同善一、同キヨノの被相続人三吉歓助の同意を欠くから違法であると主張するのでこの点について判断する。
本件建築線の指定は前記のように職権でなされたものであり、職権で建築線を指定する場合には利害関係人の同意の有無にかかわらずこれをなしうるものであるから、原告らの同意を欠いていても本件建築線の指定は違法とはならない。したがつてこの点に関する原告らの主張は理由がない。
(なお附言すれば本件については成立に争ない甲第四号証によると訴外小林の申請書には原告ら主張の土地所有者又は使用権者が記名捺印した承諾書があつたことが認められるので、原告主張のように一部所有者の同意がなかつたとしてもそれが取消の原因としての違法事由となるとしても当然無効の原因とはならないと解すべきであるからこの点から云つても原告らの主張は理由がない)
最後に原告等らは本件建築線の指定は正当な補償なくしてなされたから違法であると主張するのでこの点につき判断する。
建築線の指定は本来保安交通等公共の利益を保護する見地からなされるものであつて、その指定により土地の利用者は建築線をこえて建築物を設けることができなくなるというような制約が生ずるけれども、土地の利用権も無制限なものではなく、社会公共の利益からその権利内容を制限される場合があるのであつて、前記のような建築制限も市街地において土地を利用する者において社会公共の利益のために当然うけるべき権利内容の制限に含まれるというべきであり、右のような権利の制限をなすには補償をなすことが適当であるけれどもそれは立法政策に属し建築線の指定に伴う補償についての法規もなく又常に補償すべきものとする一般法規も存しないから原告らに補償をしないで職権でなされた本件建築線の指定は違法とはいえない。よつて右の点に関する原告の主張も理由がない。
そうすると本件建築線の指定は原告ら主張の点においては違法といえないから、勿論無効ではないといわなければならない。
したがつて原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十三条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石田哲一 地京武人 越山安久)
(別紙)
一、請求の趣旨
(一) 被告が昭和二十五年八月十日付訴外小林武之助の建築線指定の申請に基き同年九月十五日付でなし昭和二十六年一月二十五日東京都告示第九一号をもつて告示した東京都墨田区寺島町七丁目九〇番地、九五番地と九一番地の五、七、八、九、十及び九四番地に跨る巾四米、長さ四七米一〇糎の建築線の指定中、同所九四番地及び同所九五番地内の部分は無効であることを確認する。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
二、請求の趣旨に対する答弁
原告等の請求を棄却する。
三、請求原因
(一) 訴外小林武之助が昭和二十五年八月十日付で市街地建築物法に基いて被告に対し建築線の指定の申請をしたのに対し、被告は、同年九月十五日付第一〇〇〇号をもつて右小林に対し調査済証を交付して右申請のとおりの建築線の位置を指定し(市街地建築物法施行細則第七条参照)次いで翌二十六年一月二十五日東京都告示第九一号をもつてこれを告示した。
(二) 被告の指定した建築線の位置は図面によると同所九四番地及び九五番地内を貫ぬくことになつているが、同所九四番宅地一四三坪六勺は訴外橋本浩の所有で、同所九五番宅地(登記簿上は田)七三坪(実測七六坪五合八勺)は原告秋山の所有であるところ、右九四番宅地のうち七二坪(但し実測は七〇坪三合)及び九五番宅地は訴外鈴木銀四郎が夫々の所有者から賃借していたが、昭和二十一年二月二十六日原告三吉せい、同三吉善一、同三吉キヨノの被相続人三吉歓助が同訴外人よりその借地権を地上建物とともに譲受け、橋本からは同年八月三十一日、原告秋山からは同年九月十一日それぞれその所有宅地部分の借地権の譲渡につき承諾をえた。その後三吉歓助は右二筆の借地のうち七六坪を訴外山鹿卯市に対し、又内五十二坪三合九勺を訴外鵜沢たけに対しそれぞれ転貸しその後昭和二十八年六月二十九日橋本から賃借中の九十四番の土地のうち、二六坪三合四勺の借地権を右山鹿に、又右土地のうち三五坪九合七勺の借地権を右鵜沢に橋本の承諾をえて譲渡したがその余の中間の土地約二〇坪の土地及び原告秋山から賃借中の九五番の宅地の借地権を有していたところ、右歓助は昭和三十年十一月十七日死亡し、同人の妻原告三吉せい、長男同三吉善一、長女同三吉キヨノが右歓助を相続し右借地権はその共有するところとなつたが、被告の指定した前記建築線は図面上原告三吉せい等の賃借土地に跨つている。
(三) しかし、被告のなした右建築線の位置の指定中、原告秋山の所有する同所九五番宅地及び原告三吉せい等が賃借中の同所九四番宅地に跨る部分は無効である。
(1) 本件建築線の位置の指定は標示がなく、特定しておらない。
被告の本件建築線の位置の指定は単に図面の上だけでなされたものであつて、現地にはどこが建築線であるかは全然標示していない。建築線外指定をされると右指定された土地の内には建築物を設けることができない(市街地建築物法第九条)ものであるから単に図面の上で指定したゞけではたりず必ず現地についてこれを標示しなければならないものである。従つて被告のなした本件建築線の位置の指定は対象が特定されておらないから無効である。
(2) 本件建築線の位置の指定申請には原告秋山及び前記三吉歓助の同意がないから無効である。
前記のとおり建築線の位置が指定せられると、その範囲には建築物を設けることができないのであるから、建築線の指定は所有権者、借地権者等の権利を著しく制限する性質を有する。従つてこのような不利益な行政処分は必ず法律に基くものでなければならないところ、市街地建築物法第七条但書には、建築線の指定は申請があり、かつ利害関係人の承諾がある場合に限つてこれをなすことができる旨定めたものである。このことは昭和二十三年八月二十八日東京都規則第一一五号市街地建築物法施行細則(以下単に施行細則という)に、建築線の指定の申請については建築線となる土地の所有者、使用権者等の承諾書をそえて申請すべき旨定めており、又市街地建築物法の後身である建築基準法の施行規則第七条に、市街地建築物法の建築線の指定に相当する道路の位置の指定の申請につき道路の敷地となる土地の関係権利者の承諾書をそえるべきことを明確にしていることから明らかである。
しかるに前記小林は、右三吉歓助が借地権を有していた土地については全然同原告の承諾を得ないで、又原告秋山の所有する土地は前記橋本の所有であるかのごとく虚偽の記入をし、橋本の承諾を得たとして本件申請をしたものであつて、本件建築線の指定は利害関係人の承諾を欠いたものであつて無効である。
(3) 仮りに市街地建築物法第七条但書によつて行政庁に交通上、保安上必要があると認めるときに建築線を指定する権限を与えたものであるとしても(本件の建築線の位置は交通上、保安上その指定を必要とするものではない)、憲法施行後においては、行政庁は利害関係人が承諾しない限りは正当な補償をした後でなければ建築線を指定することができないものと解すべきである。このことは前記建築基準法第四二条第一項第五号、同法施行規則第七条が道路(建築線に相当する)の位置の指定は利害関係人の承諾を添えて申請した場合の外は行政庁は指定することができないことを規定していることからみても明らかである。従つて原告秋山等の承諾を欠いたのに正当な補償をしないでなされた本件建築線の指定は無効である。
(四) 原告等は無効な本件建築線の指定によつて、原告秋山は九四番地の所有者として、又原告三吉せい等は九四番地及び九五番地の借地人としてその利用上不当な制限を受けているので、本件処分中右土地の部分につき無効確認を求めるにつき確認の利益を有する。
四、請求原因事実に対する答弁及び被告の主張
(一) 請求原因(一)記載の事実は認める。(二)記載の事実中本件建築線の指定が同所九四番及び五番の宅地を貫いていること、同所九四番の宅地(但しその坪数は知らない)が橋本の所有に属すること、三吉歓助が原告等主張の日に死亡し、原告三吉せい等が相続したことは認めるがその余の事実は知らない。同(三)記載の事実中本件建築線について標示がないことは認めるが、その他の事実及び法律上の見解はすべて争う。
(二) 本件建築線の位置の指定は無効でない。
(1) 訴外小林武之助は、その所有する同所九一番地の五所在の土地が道路に接しないため市街地建築物法第八条によつて右土地によつて右土地に建築ができないことその他交通の利便のため等の事情から、施行細則第六条の規定に基き、被告に対し原告等主張のような建築線の指定を申請した。そこで被告が調査したところ、建築線指定の申請の場所はすでに事実上人車の往来する道路となつていたのみならず、附近一帯はいわゆる赤線区域の飲食店が建てこんでいて、交通保安上の観点からも建築線指定の必要が強く認められたので、市街地建築物法第七条但書及び同法施行細則第五条第二項の規定に基き右申請のとおりの建築線の位置の指定を行つたのである。
(2) 本件建築線の位置は具体的に特定できるものである。
本件建築線の指定については、施行細則第九条の規定に基き、原告等主張の告示をもつて告示し、指定の場所の地番、建築線間の距離、幅員、建築線の長さ等を掲示してあるのであつて、具体的には都の建築当局について、建築線の図面を閲覧すれば、図面記載の数字により本件建築線の位置は計数的に具体的に特定できるようになつているのである。なお実際の取扱いとしても、本件建築線の指定後間もなく施行細則第八条の規定により両建築線の間の中心線に当る個所その他に木製の仮の標示杭が打たれたが、翌二十六年春頃本件建築線の存する道路の舖装工事が行われた際に右標示杭は埋没して見えなくなつたので、昭和三十一年六月改めて両建築線の中心線に当る箇所七箇所その他二箇所に標示杭が打たれた。このように具体的に特定できる客観的条件を備えている以上本件建築線が不特定であつて、その指定が無効ということはできない。
(3) 建築線の指定は職権ですることができる。
市街地建築物法第七条但書は「道路幅の境界線をもつて建築線とする但し特別の事由あるとき行政官庁は別に建築線を指定することを得」とあるから、行政官庁はその権限として土地権利者の申請がなくてもも、交通、保安上の必要その他特別の事由があれば建築線の指定をすることができると解すべきであつて(施行細則第五条第二項参照)、原告等の主張するような解釈は右法条の文理上からみても理由がない。
前記のように本件建築線の指定は職権でこれをなしたものであつて、前記小林の建築線指定の申請は右指定の単なる誘引に止まり、右指定の処分をするために必要な有効要件ではない。従つてたとえ原告等の主張のように右小林が本件建築線の指定の申請をするに当つて、原告等が土地の権利者であるのに、その承諾を得ておらなかつた事実があるとしても、そのため本件建築線の指定処分が無効となることはない。
(4) 建築線の指定をするのに補償することは要しない。
建築線の指定は、保安、交通等の見地から社会公共の利益保護のためにするいわゆる警察行政に属するものであつて、その指定がなされると建築線を突出して建築物を設けることができない等の制約が生ずるけれども、それは自己の所有地であつても建築基準法第五五条(建築面積の敷地面積に対する割合)による制約があるために所定の坪数以上の建物が建築できないのと同様、単に建築法令上の制限というだけであつて、建築線の指定によつて行政官庁が一方的に建築線を指定する場合にこれを承諾しない関係土地権利者に補償しなければならないという原告の主張は理由がない。
(5) 仮りに本件建築線の指定が原告等の承諾なくしてなされたもので違法であるとしても無効ではない。
本件建築線指定の申請について、当時関係土地権利者の承諾をもれなく得ていたかどうかを調査することは極めて困難であるから、もし仮りに原告等の承諾のない建築線指定申請に基く指定処分が違法であるとしても、その瑕疵は重大且つ明白というべきものではないから取消し得べき瑕疵ある処分というならば格別当然に無効ではない。
(6) 本件建築線指定の場所は建築基準法上の道路とみなされるものである。
以上の被告の主張がすべて理由がなく、本件建築線の指定が無効であるとしても、本件建築線指定の場所は次の理由により現在建築基準法による道路である。
本件建築線指定の場所は、建築基準法の施行期日である昭和二十五年十一月二十三日当時において、特殊飲食店がその両側に立ち並んでいる道であつて、その幅員は四米未満一、八米以上であつた(現在も幅員はかわらない)建築基準法第四二条第二項、昭和二十五年十一月二十八日東京都告示第九五七号建築基準法第四二条第二項に基く道路の指定第三号の定めにより道路とみなされ、その中心線からの水平距離二米の線がその道路の境界線とみなされることになり、その境界線は本件建築線の位置と同じとなる。従つて道路に突きだして建築することのできないこと等の制約のあることは本件建築線の指定の有無を問わず同様であるから、原告等は右指定処分の無効確認を求める法律上の利益はない。
五、被告主張事実に対する原告等の答弁
(一) 被告主張事実はすべて争う。
(二)(1) 本件建築線指定の申請のあつた場所が申請当時及び昭和二十五年十一月二十三日当時すでに人車の往来する道であつたことはない。
(2) 本件建築線は被告が交通、保安等から指定を必要と認めて指定したものではなくて、被告主張のような理由で小林が自己の借地上に建築することができないため、建築線の指定を必要とし、そのため種々画策して形式上利害関係人の承諾があつたように装つて申請したものを被告は何等の調査もしないで漫然とその申請のとおり指定したものである。
(3) 利害関係人の承諾がないのになされた建築線の指定処分も取消し得る瑕疵ある処分にすぎないという被告の主張は個人の権利を無視した暴論である。